

藤原 義清
1956年、高知県生まれ。
大学卒業後、大阪の広告会社を経て、1982年に和歌山へ。1986年、地元企業の新卒採用支援事業の立ち上げを任され、以来30年にわたり、若者と企業の“出会いの現場”を走り続けてきた。採用事業以外にも住宅誌など数々のメディア開発にも携わる。2011年より広告会社専務を務めており、2026年3月、退職予定。
採用の現場から離れてはいるが、2016年度から学生向けポスターコピーを書き続けてきた。
『毎年書いてきたユーロードのポスターコピーは、
“静かな情熱”の証です』
はじまりは、手応えを探す日々だった。
人材事業に関わって40年になる。
あの頃の私は、ただ「仕事の手応え」を探していたのだと思う。
県版の広告企画を担当していた25歳の頃、反応が見えない紙面づくりに、
どこか宙に浮いたような感覚があった。
広告という仕事に魅力を感じながらも、
自分がどこに向かっているのか、つかみきれずにいた。
そんなときに、企業紹介の情報誌をつくる話が持ち上がった。
就職情報を本にまとめ、出身学生へ直接届ける―
メディア設計、企画開発、取材……
仕事を立ち上げるところから関われることに、迷いはなかった。
「地方の時代」と言われた80年代。
情報は都会と地方の差が縮まりつつあったが、
人材だけはまだ遠かった。
優秀な若者を一人でも多く地元に戻すことが、
どの企業にとっても切実な課題だった。
最初の『和歌山県企業ガイドブック』ができたのは1987年の春。
62社が参加してくれた。
その一冊を発行したあとからが、本当の仕事だった。
企業を回り、反響を聞き、次の年に活かす。
うまくいったことも、いかなかったことも、
すべて数字とクライアントの表情の中にあらわれる。
逃げ場のない仕事だったが、だからこそ向き合えたことがある。
地方での採用活動は、派手な世界ではない。
けれど、確かな手触りがある。
企業の人事担当者と話すうちに、「採用」は単なる人集めではなく、
企業の未来創りそのものだとわかった。
そして、学生の側にもまた、地元に戻る理由や戻らない理由が、
複雑に混ざりあっていることに気づいた。
数字や制度だけでは測れない、人間の小さな揺らぎのようなもの。
こうして気づけば、私はがむしゃらに、
企業と若者のあいだを行き来していた。
あの頃の求めていた“手応え”は、
そんなものだったのだと思う。
学生という存在の、
かすかな揺らぎ
企業と学生を橋渡しする仕事は、
双方のことを熟知していなければできない。
だが、いつもその中間を歩けるわけではない。
これまでに多くの学生たちと出会ったが、
メッセージを受け止めてくれる学生イメージの「輪郭」は
時代と就職環境の変化の中で揺らいできた。
「困りごとを抱えたまま、
小さくうつむいている若者がいた」
「どこか浮ついた足取りで、
現実に触れきれないまま歩いている姿もあった」
「流れに身を任せるように、
自分の輪郭さえ曖昧にしてしまう人もいた」
「地元への思いばかりを握りしめ、
その一点だけを頼りに動く者もいた」
「遠くへ行きたいという衝動だけが先走り、
未来よりも距離のほうを選ぼうとする若者もいた」
特定の誰か、というより、
こうした数人の「類型」が、
いつも私の対象だった気がする。
就職は、正解のない選択だ。
私にできるのは、その時々の彼らの背中を、
ほんの少し押すか、あるいは、そっと立ち止まらせるか、
そのくらいのことだった。
学生と企業をつなぐ仕事は、
派手なドラマのある世界ではない。
けれど、小さな表情の変化や、
短い沈黙の奥にあるものを見逃さないことが、
なにより大切だと感じていた。
あの頃の若者と、今の若者。
時代が変われば、言葉も変わる。
だが、自分の未来が遠くに見えたり近くに感じられたりする、
その不安と期待の入り混じった揺らぎは、
どの時代の学生も同じだ。
私はその揺らぎのそばで、
言葉を選び、距離を測りながらやってきた。
人事の背中にある、
静かな情熱。
採用支援の仕事を続けていると、
組織は「そこにいる人間の体温」でできていると気づく。
人事担当者は、人生の先輩だった。
企画書を手に訪ねて行くと、
話はしばしば、採用の枠を越えていった。
和歌山のこれからを案じる声。
地元に若者が戻らない理由を静かに語る眼差し。
「誰かがやらないといけない仕事やで」と
励まされた日のことも覚えている。
生産現場を案内してもらったり、
研究の部屋をのぞかせてもらったり、
ときにはトップの話を聞く機会もあった。
それらは単なる取材以上に、
“会社という生き物”の横顔に触れる時間だった。
働く人の言葉には、その企業の歴史や誇りが宿る。
だから私は、話すよりも、できるだけ聞き手にまわった。
企業が抱える喜びや、悔しさや、続けていくことの重さ。
そういうものを、何気ない会話の合間に感じるたび、
自分の仕事もまた、
その企業の未来の一行に寄り添っているのだと思えた。
採用市場は、“データ”で語られることが多い。
だからこそ、その向こう側にある
静かな思いや願いを忘れないようにしていた。
あの頃出会った人事担当者たちの言葉は、
今も胸の奥に残っている。
気負いのない一言に、
会社の人格のようなものが滲んでいた。
それが、私にとってこの仕事の
誇りのようなものだったのかもしれない。
続けてきた理由を、
言葉にするなら。
振り返れば長い道のりだったが、
歩いている最中はただの「毎日」の積み重ねだ。
使命感かと言われると、
どこか嘘くさく、違う気もする。
それでも続けてこられたのは、
この仕事に、言葉にしにくい“手触り”のようなものが
あったからだと思う。
企業を訪ねて話を聞く。
学生の声に耳を傾ける。
その間にあるわずかな温度差や、
そこにはっきりとは姿を見せない本音の影を感じながら、
ひとつひとつ埋めていく。
誰かが大きく喜ぶわけでもなく、
喝采が起こるわけでもない。
ただ、若い人が一歩前に進み、
企業が少し未来を明るく見られるようになる。
その瞬間のために、淡々と動く。
そんな日々の連続が、
いつの間にか自分の“立ち位置”をつくっていた。
逃げ場のない現場だった。
数字も、反応も、すべてが自分に返ってくる。
けれどそれが、不思議と心地よかった。
この仕事には、「正解がひとつもない」という自由さがあった。
誰のどんな未来に寄り添うのか。
その選択は、いつも自分の中にしかなかった。
人生観や仕事観の移ろいとともに変わっていく採用市場を見つめながら、
自分の時間もまたそこに重なっていた。
時代が変わる音を、
ただ受け止める。
和歌山県の人口は90万人を切っている。
数字は見えないし、認識とは違う。
その現実を本当の意味で感じたのは、
静かな高校の校舎を歩いたときだった。
いくつもの教室に、生徒の姿はない。
窓から入る光だけが、机の列を照らしている。
かつては当たり前に満ちていた気配が、そこにはない。
その静けさは、言葉より先に体のほうが理解した。
若者が減り続ける。
東京への流れは止まらない。
地域に戻る理由が見つからない。
採用では「魚のいない池」という表現が使われることがある。
池そのものが縮んでいくという現実はあまり語られない。
誰のせいでもない。
どこに怒りの矛先を向けることもできない。
ただ、時代が大きく形を変えていく音だけが
静かに聞こえてくる。
デジタルが進み、
AIが採用を管理し、
学生の行動も変わった。
けれどこうした変化のどれも、
「若者が減る」という一つの事実の前では
大きな流れをほんの少し押し返す程度にしか見えない。
そのうえで、
何を残し、何を変えるのかを考える。
それが、この時代に働く者の
静かな責務のように感じている。
この仕事を
続けられたのは
この仕事は、
自分ひとりで完結するものではない。
むしろ、支えてくれる人の多さに、
あとになって気づかされた。
企業の方々には、
現場を離れた後も多くのことを教えていただいた。
採用の悩みも、会社の未来への思いも、
ときに経営の痛みさえも、
飾らずに話してくださった。
行政や大学の方々にも、
長い年月のあいだ、
地元の若者を支えるという
同じ方向を見て動いてくださる方がいた。
その存在が、どれほど心強かったかは、
言葉ではうまく説明できない。
振り返れば、
私の役割はその人たちの思いのあいだを、
ただ静かにつなぐことだった気がする。
大げさなことはできないが、
つなぐことだけは、
できるかぎり丁寧にやってきたつもりだ。
この仕事を続けてこられた理由を挙げるなら、
自分の力というよりは、
出会ってきた人たちの声や表情、
その背中にある静かな情熱に
引っ張られてきたのだと思う。
あのときの会話も、
あの場で交わした一言も、
今も私の中のどこかに残っている。
未来へ向けて、
少しだけ。
未来のことを語るのはむずかしい。
予測よりも、変化のほうが先に来る時代だから。
それでも、人が働き、暮らし、繋がっていくことで、
正解のない未来が創られていく。
採用のあり方は、
これからもっと個別になり、
もっと長い時間軸で動いていくだろう。
「学ぶ」「働く」「暮らす」が
それぞれ別の線ではなく、
ゆるやかに重なり合う流れになるはずだ。
ユーロードもまた、
ヒトと企業のあいだで長い対話をつくる活動へと
万能解のない道を進んでいくしかない。
「学生と企業をつなぐ仕組み」
「県外に出た社会人との交流」
「立場や世代を越えて出会う場」
そんな三つの取り組みが、
これからの人材事業の土台になっていくだろう。
私たちは、コネックスというグループの一員だ。
グループはパーパスとして「人と地域に躍動を!」を唱っている。
メディアを創っている仲間やデジタルマーケティングを展開する仲間もいる。
それぞれの場所で懸命に和歌山を動かしている。
その広がりの中で、ユーロード事業は力強く共創しながら影響力を持ちはじめている。
未来に必要なのは、大きな声ではなく、途切れない対話だと思う。
働く場所を選ぶことは、生き方を選ぶことだ。
どんな時代になっても、
若者がその選択を自分の言葉で語れるように、
そばにいられたらいい。
最後に、2020年版ユーロードのポスターで私が書いたコピーを置いておきたい。
人生の目的をひとつ足してみる。
これ、ふるさと就職の定石。
この言葉に、特別な意味はない。ふるさとで働くという選択には、
職業の枠を超えた“何か”があるとずっと思ってきた。
暮らしの手触りのようなもの、それらを大切にできる人生であってほしい。
「正しい未来」なんて、ないのだから。

1956年、高知県生まれ。
大学卒業後、大阪の広告会社を経て、1982年に和歌山へ。
1986年、地元企業の新卒採用支援事業の立ち上げを任され、以来30年にわたり、
若者と企業の“出会いの現場”を走り続けてきた。
採用事業以外にも住宅誌など数々のメディア開発にも携わる。
2011年より広告会社専務を務めており、2026年3月、退職予定。
採用の現場から離れてはいるが、2016年度から学生向けポスターコピーを
書き続けてきた。
『毎年書いてきたユーロードのポスターコピーは、“静かな情熱”の証です』





